張本智和の両親の国籍 なぜ日本に帰化した?【4つの理由】

張本智和選手は、元々中国国籍をもっていました。2014年に日本国籍を取得して帰化。現在は日本選手として戦っています。

なぜ日本に帰化したのか。両親の国籍は?など気になる疑問点をまとめて解消していきます。

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張本智和 両親の国籍は?ハーフではない

引用元:Twitter

両親の職業は、元卓球選手

張本智和選手の両親は、二人とも元卓球選手。両親とも中国の四川省出身です。父親は張本宇。母親は張凌です。

父親・張本宇さんは、男子ジュニア日本代表コーチを務めています。母親・張凌さんは、1995年に天津市で行われた第43回世界卓球選手権の代表選手を務めるほどの実力者です。

まさに卓球一家ですね。張本智和選手は、卓球のサラブレッドとして育てられたようですね。ここに張本智和選手の強さの理由がある気がします。

正確な生年月日が分からないので、両親の年齢までは分かりませんでした。ネット上には、2018年時点で父親の張本宇さんが47歳。母親の張凌さんが44歳だという情報もありました。

張本智和の両親の名前
■父親
張本宇(はりもと・ゆ)

■母親
張凌(ざん・りん)
※一部記事には、張本凌という記載あり

 

2014年に中国国籍から日本国籍に

2014年の春に、張本智和選手は国籍を中国から日本に変えています。日本への帰化に伴い、姓は「張」から「張本」へと変化。父親の宇さん、妹の美和さんも一緒に日本国籍を取得しています。

帰化とは?
希望した国の国籍を取得して、その国の国民になることを”帰化”といいます。

国によって帰化条件は異なり、日本への帰化条件は「引き続き 5年以上日本に住所を有する」「20歳以上で本国法によって能力を有する」「素行が善良」「重国籍者にならない」などがあります。

 

父親は日本国籍、母親は中国国籍?

両親の名前を見てもらえれば分かると思いますが、父親は日本に帰化して、日本国籍を取得。母親は中国国籍のままのようです。※ウィキペディア情報による

母親だけがなぜ中国国籍のままなのか。その理由は分かっていません。ですが、「中国国籍にこだわりがあった」「変える必要がなかった」など、色々な理由は考えられます。

国籍を変えるというのは、大事ですからね。国籍を中国のまま残しておくという選択も不自然ではありません。

張本智和選手がなぜ日本国籍に変えたのかという理由については、以下で説明します。

※追記:一部記事には、張本凌という記載ありました。もしかしたら母親の凌さんも日本国籍を取得しているのかもしれません。

 

張本智和ハーフではなく、血筋は中国人

ネットで張本智和選手のことを検索していると、「張本智和 ハーフ」という言葉がよく検索されていることに気が付きます。

上でも説明した通り、両親は二人とも元々中国人。張本智和選手も中国人の血をひいています。ただ、父親とともに日本国籍を取得し、日本に帰化しました。

血筋は中国人で、国籍は日本。張本智和選手がハーフというワケではありません。

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なぜ日本に帰化したのか?4つの理由

引用元:Twitter

日本国籍を取得した張本智和選手。なぜ日本に帰化したのか。なぜ日本だったのか。気になっている人は多いと思います。私も気になっていたので、理由を調べてみました。

考えられる理由は、以下の4つ。張本智和選手の日本に対する想いの強さ、そして両親の息子への気持ちがありました。

なぜ日本?4つの理由
  • ①生まれ育った日本への想いが強かったから
  • ②水谷隼への想い
  • ③息子の想いを叶えるため
  • ④中国卓球界の厳しさを知っていたから

 

①生まれ育った日本への想いが強かったから

日本に帰化したいと言い出したのは、張本智和選手自身。小学4年生の時に両親に告白しました。

張本智和選手の両親は、二人とも中国生まれの中国人。元卓球選手です。現役引退後には、日本から卓球のコーチとして呼ばれて日本へとやってきました。宮城の仙台ジュニアクラブのコーチとして活動をされていました。※仙台ジュニアクラブ:福原愛選手を輩出した名門クラブ

来日後、1998年に結婚。2003年には張本智和選手が誕生します。張本智和選手は中国人の血を受け継いではいますが、日本生まれ日本育ちなんです。張本智和選手にとっては、日本の宮城県仙台市こそが故郷でした。

また、2011年に東日本大震災も経験しています。2017年には、「仙台、東北に希望を与えられるように頑張ります」と決意も語っています。

故郷に対する様々な想いが、日本人として戦いたいという決意につながったのかもしれません。

 

②水谷隼への想い

故郷に対する気持ちの強さも感じますが、それと同じくらい水谷隼選手への想いの強さも感じます。張本智和選手は、日本男子卓球界のエース・水谷隼に憧れを抱いています。この憧れが、日本国籍取得にも関係しているのではないかと思います。

あるインタビューでは、以下のように語っていました。張本智和選手の水谷選手への想いの強さが伝わってきます。

■インタビュアー
「水谷選手のそれは自分の中でそこまで大きいもの?」

■張本智和
「日本であと完璧に超えるべき選手はもう水谷さんなので、東京五輪までに絶対に越えなきゃいけない壁です。越えても東京五輪また一緒に出る可能性もあるので、ライバルと言ってもらって本当に、少し嬉しさもあるんですけど、いつまでもライバルじゃ駄目なので、絶対に完璧に追い越せるようになりたいです。」

引用元:Yahoo!ニュース

張本智和選手にとって、水谷隼選手はライバルであり越えるべき壁のようです。コメントからは、”憧れ”という一言では言い表せない情熱を感じます。

もしかしたら、東京五輪で一緒に戦うことが夢の一つなのかもしれませんね。

 

③息子の想いを叶えるため

日本国籍を取得したいと言った小学4年生の張本智和選手。父親はその言葉を受けて、息子とともに日本に帰化することを決意します。その理由は、「息子の想いを叶えるため」でしょうね。

両親は、来日後も日本への帰化までは考えていなかったそうです。その考えを変えたのが、息子・張本智和選手の熱意。

日本人選手として、2020年東京五輪で金メダルを獲得したいという張本智和選手の夢。それを叶えるために、2014年に日本に帰化したのではないでしょうか。

母・凌さんは、自身の手記で以下のように語っています。

夢はぶれずにずっと卓球選手。わたしも不思議なくらい、卓球のために生きている感じでした。

(中略)

考えが変わったのは小学4年時の全日本ジュニアの県予選。3ゲーム先取で0-2のゲームポイントを握られた時でした。そこから3-2と大逆転したのです。泣きました。この子は違う。わたしを超えたと。以来、トモの卓球人生を支えようと考え直しました。

小学校の卒業式で「東京五輪金メダル」を宣言しました。これからも夫とともにその夢を応援していくつもりです。

引用元:日刊スポーツ

 

④中国卓球界の厳しさを知っていたから

前述した通り、張本智和選手の両親は中国の元卓球選手。代表に選出されるほどのトッププレイヤ―でした。そのため、中国卓球界の厳しさを身をもって知っていました。

そのため、息子を卓球選手に育てようとは考えていなかったと言います。中国では、息子の夢を叶えることは難しいと考えていたようです。母・凌さんの手記では、以下のように語られています。

夫とともに卓球の厳しさを知るだけに、当初は選手になるのは反対でした

引用元:日刊スポーツ

考えが変わったのは、小学4年時の全日本ジュニアの県予選。張本智和選手の戦う姿を見て、息子の卓球人生を支えようという考えに変わったと語っています。

「なぜ日本に帰化したのか」。それは、やはり息子の夢を叶えたいからということに集約されるのだと思います。日本人として、世界の舞台で戦いたいと願う息子。その夢を叶えるために、両親は日本への帰化を賛成しました。

そこには、やはり「卓球王国でライバルの多い中国では、東京五輪を目指す息子の夢を叶えることが難しい」という気持ちもあったのではないかと思います。

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